呼び捨てにするのは

名前を呼び捨てにしてしまうのは、私の一つの癖だ。
もちろん、丁寧に呼ぶに越したことは無い。
武神館初見宗家は、どなたにでも「さん」を付ける。
それを聞いていて心地良い。
目下の私にさえ「日野さん」と呼んでいただける。

常々、私の言葉使いの粗雑さを嘆く。
嘆くだけだから、どうにも治らない。
公の場では、殆ど失敗は無いが、もしかしたら有るかもしれない。

私が呼び捨てにするのは、誰でも私と対等だという意識からだ。
といっても誰も分かってはくれないが、それはそれで仕方がない。
「日野は礼儀がなっていない」と思う人もいるだろうし、言葉使いが汚過ぎると思っている方も大勢いるだろう。
それも仕方がない。
事実だからだ。

しかし、活字となれば別だ。
このブログで、エピソードとして紹介するときは、そのままで呼び捨てにしている。
しかし、何かの折に名前を書く時は、きっと呼び捨てにしていないと思う。

これは私の勝手な見方かもしれないが、呼び捨てが似合う人と、似合わない人がいるのだと思う。
似合わない人の呼び捨ては、偉そうにしたい、としか見えないのだ。
そんな人の呼び捨てに、違和感を感じるのだ。
何かしら微妙なニュアンスを感じ取っているのだろうと思う。

というところで、今日、一つ決まった事があります。
大阪でのドラムソロコンサートです。
大阪の劇場は、1日の使用だと6か月前からしか出来ない。
で、来年
2019412日(金)大阪・心斎橋大丸劇場に決まりました。
ということで、還暦の時と同様に、大阪と東京でソロコンサートを行います。
但し、愚息の和太鼓との共演も入ります。
還暦から
10年。
70歳の今(厳密には来年71歳ですが)を、ぶつけます。

Follow me!