尊重しているのか?

面白い。
「共感できません」と意見をいう。
もちろん、それが良い。
しかし、そこに含まれるニュアンスを感じ取ると、意見の交換ではなく、単なる遮断が多い。

それは、その人の自由だから、そのことをとやかく言う権利は誰にもない。
もちろん、私にもない。
しかし、もう少しそのニュアンスを確かめていくと、いわゆる「おばちゃん」や「おっちゃん」は、「共感」と言う言葉は使わない。
それよりも、「ふ〜ん」とか「何を話しているの?」「それは違うわ」となると思う。
でも「共感」と使っているところに知識が見える。

もちろん、それが間違っているのではない。
前提として「人はそれぞれに違う」というところが見えないから、違和感を覚えるのだ。

先日の岡山ワークショップの打ち上げで、そんな話になった。
大方の人は「人はそれぞれに違う」と言うことを知っている。
しかし、どう知っているのかが問題だ。

言葉として、概念として知っているだけなのか、あるいは、体験的に知っていて、その体験から何かを導き出して知っているのかだ。
私は、自分自身の生き方を見直した時、人とは違う事を知っている。
同時に、であればAさんBさんCさんと、同じように高校や大学を出て、会社で働いているとしたら、同じなのかと言うと、それは違うだろう。
両親も家庭環境も、育った環境も全て違う。
と言う具合に考えを巡らした時、「人はそれぞれに違う」ということが、それこそ立体的に浮かんでくる。

しかし、大事なところはそこではない。
そのそれぞれに違う人を、自分自身は「尊重している」のか、という点だ。
と私は考えているし、そう生きている。

 

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