罵るのは

子供の頃は褒められた事がない。
「あかん、何してるんや」「これはあかん」「アホちゃうか」とにかく罵詈雑言の日々だった。
と書けば、何という環境なのか?と誰しも思うだろうが、それが普通なのだ。
普通というのは、日常だという事だ。

親にも褒められた事もない。
今なら、「愛されていない」等と意味不明、実体のない言葉が飛び交うのだろう。
そんな言葉は、本の中にも見かけた事がない時代だ。

じゃあ、愛されているって、どんな事?と突っ込む。
「言葉に出さなければ分からない」となるのだろう。
では、その愛とかいうものは、言葉に出せば成立するものなのか?というと、それでは駄目だとなるのだろう。
何れにしても、上っ面の、上っ滑りのものには興味はない。

罵詈雑言というのは、大方の場合、明確な対象があり、そこに発せられるものだ。
だから、「私に言っている」と体感出来る。
つまり、関係そのものが間違いなく有る、という事だ。
逆にいうと、その罵詈雑言は「その人」に向かわなければ発する事は出来ないのだ。

そこには、余程の覚悟がいる。
それは、その言葉を発することによって、必ず何かが起こるからだ。
何が起こるか分からない何かだ。

子供の頃の、子供の世界の出来事は感情も精神も鍛える為に有る。
そこをどう育って行くかで、打たれ強い心を持つ人間になるかどうかが決まるのではないかと思う。

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