自分なりで良いのだが

先日の大阪での特別稽古もそうだが、「何を手本として」というところが見えて来ない。
「自分なりに」やるばかりだ。
もちろん、常に「やるのは自分」であって、他の誰でもない。
しかし、「自分なり」は「手本を」だ。
それが明確ではない場合、「自分なり」だけだから、そこからの広がりは少ない。

「見て覚えていく」ことで、何かを獲得したこのない人は、全てこの言葉通りの「自分なり」のままだ。
自分が何に対して取り組んでいるのか?の二重構造に気づいていないから仕方がないか。

Follow me!