子供を育てる?何でやねん
子供の教室を作って欲しいとよく言われる。
今回、小学2年生の孫との付き合いで、そのことを頭に置いて考えていた。
何かを身に付ける、例えば、バレエ、例えば、空手やドラムという具合に、形があり、その形を真似させることは、ある意味簡単ではある。
しかし、どうすれば「工夫をする力」「発想豊かに」「めげない・諦めない」という内面と、社会性の種を染み込ませる事が出来るか、と考えた時、「これだ」という形式なり考え方が浮かんでこない。
もちろん、その形式を学ぶ中にそれらの事は含まれる。
私の思うのは、その形式すら疑い、自分で考えるという力だ。
もちろん、この力は大人になってからのものだ。
と考えていくと、その形式以前に身に付けるべきものがあると想像できる。
これは、私個人の育って来たことを念頭においている。
だから、「私」という個人であり、そこに一般性があるかどうかは分からない。
しかし、大人になってから思える事は、子供の頃大人の言うことを聞かなくて良かった、だ。
それの根本は、問題も含めて全てに疑問を持てる自分が出来上がっていたからだ。
大人の言うことを聞かない為には自分で考えなければいけない。
どんなくだらない遊びでも、自分で考えた。
ここが、私の原点ではないかと思っている。
だから、どうすれば大人が口出しをせずに、子供たちを成長させられるか。
愚息を見ていたら、ここがよく分かる。
やはり、言葉数が多いのだ。
そうすると、言葉だけを頼りに行動を考えてしまう。
そうして大人になったのが、現代人の殆どだ。
だから、現代の閉そく感なのだ。
あくまでも大人は、遠くから見守るという姿勢でなければいけないのだ。
決して子供を育てているのではなく、大人になっていく人間を育てているのだ。
良い子や、聞き分けの良い子ではない。
逞しく自分で道を探していく人間をだ。