トラウマというのは
愚息が孫を連れて初めて帰郷、道場へやってきた。
明日には帰ってしまうが、3日間タップリと遊んだ。
愚息と子供のやりとりを見ていると、父親というよりも、小さな連れに対しているようだ。
もちろん、それが良いだの悪いだのという話ではない。
上手に付き合っている感じだ。
愚息との昔話で「トラウマ」ということの実体を知った。
愚息が小学1年生の時、登校途中で自動車が崖から転落した事がある。
私が仕事で出て行っており、運転手を留守の者に頼んでいった。
その運転手が居眠りをした為だ。
ガードレールを擦り抜け、10m下へ転落したのだ。
幸いにも愚息は、窓から外に投げ出され5m程の所で泣いていたそうだ。
その泣き声が道路上で聞こえた、為、救助されたのだ。
車が転落した事は今も記憶になく、訳が分からない状態で血まみれだったから、怖くて泣いていたそうだ。
ここでトラウマだ。
40歳を過ぎて未だに自動車の助手席には座れないという。
もし車に乗るなら後部座席だという。
それでもチョットした車の揺れが気になるから、寝てしまうそうだ。
だから公演などで和太鼓を積んで運ぶ時は、自分一人で運転するのだという。
その話を聞き「トラウマ」というものは、やはり生命の危機と被っていると思った。
よく聞く「トラウマ」には疑問を持っていたのが、やっぱりと確信した。