形式という枠は
昼過ぎに福岡に飛ぶ。
東京はかなり強い風が吹いているが飛ぶのかな?
ここのところ愚息との会話が頻繁にある。
音楽のこと、演奏そのもののことだ。
音楽は、一度形式を壊してしまわなければ、本当に「音楽が自分の中に有るのか無いのかが分からない」として、私はフリージャズの世界に入った。
全ては形式が保証をしているからだ。
その形式から逸脱しないことが「上手」と呼ばれるだけだ。
そんなことは、クラシック音楽を聞く内に芽生えてきたものだ。
この考え方、つまり、「形式が保証する」は、逆に、ではどうして形式が生まれたのか?になる。
欲求が形式を作る、というのが本来の筈だ。
しかし、形式が既にある場合、その形式に対して、自分の欲求を考える必要があるのだ。
もちろん、それは武道にも向けられている。