共通点を探す
「どうすれば」ばかり考える。
稽古然り、工事然りだ。
あるいは、上達然りだ。
もちろん、それらが共通しなければ、虫が治らない。
私の考えや結論はこの「共通」に集約される。
だから、興味が沸くほどに、その「共通」は深くなる。
というよりも、ならざるを得ないのだ。
そこでまたその「共通」から考えて行く。
そうすると、その「共通」が共通では無くなる事も出て来る。
いわゆる例外というやつだ。
そうすると、今度はゼロから考えなおすのだ。
そんな作業が好きだから困ったものだ。
もちろん、武道も同じだ。
達人たちの逸話や、残されている「五輪書」のような本から、共通を探していったのだ。
だから、面倒だから古武道を研究しているというが、実際はそういった達人そのものの境地で、しかも共通する要素を探究しているのだ。
だから実際的に難しい。
大方の人にとってはチンプンカンプンだ。
にも拘らず、ネットでは極意のオンパレードだから笑うしかない。
天才が沢山いることに驚く。
しかし、ゼロから考えている私のような人間には、過程が分かるというか、どの過程を踏んでいるのかが見破れるのだ。
「であるならば」が分かるのだ。
だから、言葉に注意する必要があるのだ。
私の拙い文章でも、どこかに穴があれば、それを見つけ出す人もいるだろうからだ。
もちろん、これは会話とも共通する。
今日も打ち合わせで、そんな話題になった。
「私は、自分のことは滅多なことでは話さないで」と。
相手との共通点を探すほど、人を馬鹿にしたことはない。
共通点など、暗黙の中で探り出すものだからだ。
人の口をついて出る、あるいは出すものではないのだ。
それで分からなければ、分からない、それだけのレベルだということだ。