人生ままならないというのは
大阪明鏡塾を終えて、道場修理に帰っている。
この時期ならと思ったが、ところがどっこい、やはり山だった。
雨が降ったり止んだりで、屋根修理には不向きだ。
しかし、ラッキーな事に、大雨の後ながら水はホースから出ていた。
水の音が聞こえるとホッとする。
この時期ならと思ったが、ところがどっこい、やはり山だった。
雨が降ったり止んだりで、屋根修理には不向きだ。
しかし、ラッキーな事に、大雨の後ながら水はホースから出ていた。
水の音が聞こえるとホッとする。
この辺りも僻地の例にもれず、お年寄りばかりで尚且つ相当人口は減っている。
それを見越して、簡易水道が設置された。
みんな私がやっているように、山に上がり水源からホースで水を引っ張っている。
年齢と共にそれも難しくなるからの水道だ。
道場にも凍結時の保険の為に水道を引いているが、この山奥でカルキの入った水は出来るだけ飲みたくない。
だから、水源に登れる間は登ろうと思っている。
この水源からホースを引き水を出す、という単純な仕組みだが、大雨でも水が出ている時と、何かの弾みで水が止まる事がある。
その度に色々と工夫を凝らす。
しかし、それでも例外が起こる。
それが自然の世界だ。
そして人生であり「関係」だ。
水源を深くし、水の流れを調節しようと大きな石を置く。
そんな工夫をするが、自然の前では全く意味をなさない。
いわゆる読めないということだ。
3:11の夏、この辺り一帯に大雨が降り村が流されたり、川が氾濫して多くの世帯が被害を被った。
その時の復旧工事が未だに続いている。
大きな堰堤を作って、土石流を堰き止める工事も、あちこちでやっているが、それがうまくいっているためしはない。
うまくいっているのは、本流ではなく支流で影響の少ないところだけだ。
先日の大雨でも、その堰堤を乗り越えて、水が溢れかえっていた。
工夫の仕方が間違っているとしか言いようがない。
もちろん、私に知恵があるわけではないが、色々な知恵を動員すれば、もっと違う方法が生まれる筈だと思ってならない。
それでもダメな事はあるだろう。
その時に「人生ままならない」というのだ。
つまり、精一杯だからこそ、「思うようにならない」という言葉を使えるのであって、余力があったり、工夫不足のくせに使う言葉ではないのだ。