咄嗟の時に出来ることなど無い
何かとんでもない事件が起きると、専門家?評論家?コメンテーターといった人達が、いわゆる結果論的に「こうすれば」という話をする。
「ほんまか!?」
ほんと、それこそ平和ボケの象徴だ。
人は出来ることしか出来ないのだ。
予想できない状況に陥った時、何が出来るのか。
それを訓練していなければ、あるいは、その予想できない状況を、自分の人生の中で置き換えられるなにか、また、火事場の馬鹿力を発揮できる人でなければ、予想できない状況を回避することは出来ない。
少し前にあった、バスジャック事件、今回の新幹線内の事件等々。
いくらでも、そういった状況が起こりうる下地は日本にはある。
予想できない状況に陥った時、準備の無い人には出来ることはないのだ。
いわゆる、マニュアルだけで、つまり、世間の常識観だけで生きている人、世間の風潮だけで生きている人は、残念ながらここを対処することは出来ない。
大声すらも、大声を出したことのある人以外挙げることは出来ないのだ。
咄嗟の時には大声を出して、とよく言われるが、動転してしまって無理だ。
声は気持ちと共にあるのであって、「声」という気持ちとは離れた代物があるのではないからだ。
つまり、感情を育て感情と共に、発する声を稽古するのだ。
日本は、もしかしたらやばい?と、直感する人は、せめて感情と共に大声を出す稽古だけでもやっておくべきだ。