親と子は
愚息から電話が入った。
音楽の話だ。
様々な疑問、様々な問題。
愚息は和太鼓で、私はジャズだからジャンルは違うが、音楽というところで深い話が出来る。
そういえば、愚息が高校を卒業し、自衛隊に入隊した。
これは、阪神淡路大震災をテレビで見ていて、自衛隊の活躍を知り「俺も入る」となったものだ。
しかし、裏には「早く家を出たい」というのがあるからだ。
実のところは、これだったろうと思う。
それは、自衛隊に入り3.4年は全くの音沙汰なしだったからだ。
愚息が高校を卒業し、自衛隊に入る時、一通の手紙を書いた。
それは、「早く私と友達付き合いが出来るようになれ」というものだ。
だから、音楽の深い話しかり、「私とは」という問題もしかり。
ようやくそれが実現した。
時の流れというか、人生経験というか、愚息は愚息なりに歩んでいるのだな、と感じた。
私は、外国の親のように、「息子は私よりも素晴らしい」とは言えない。
そんな話を聞くと「一体、誰の何の話なのか?」と思う。
もちろん、日本人でもそんなことを言う人もいる。
私は、親は死ぬまで子供の前に立ちはだかる壁で有り続けるものだと考えている。
その壁があるからこそ、成長し続ける動機が無くならないのだ。
親は理不尽であれ、なのだ。
だからこそ、智慧も育まれるのだ。
もちろん、「立ちはだかる壁」だとは意識はしていない。
ただ、私は私の道をひたすら歩いているだけだ。
このひたすら歩き続ける事だけが、親の指名でもあると考えるからだ。