天職??
「手でピタッと」は、相手からの情報を聴き取る手段だ。
同時に、相手を聴き取れるという自分を作る事でも有る。
つまり、これは手段であり、本質への取り組みでもあるということだ。
だから、応用性がいくらでもあるのだ。
方法だとした時には、何も得られない。
まず、出来ないからだ。
出来ないというのは、20年やっても無理という意味だ。
だから方法から入ったら駄目だというのだ。
例えば、ダンスにしても、「どうしても踊りたい」という欲求が有るのか、だ。
それが有るから、どんな過酷な練習でも楽しいのだ。
しかし、その欲求が低ければ、辛いことも出てくる。
つまり、どんなことでも自分自身の欲求次第ということになるのだ。
その意味で「自分次第」だ。
ここで、肝心な事は、欲求が希薄でも、欲求を高められる自分を作れる、という能力だ。
どうして?
それは、人生を歩いていると、欲求が無いのにやらなければならないことも出てくる事があるからだ。
例えば、何か欲求に基づいた仕事に就いていたとする。
しかし、社会の動きの中でその仕事が無くなるとする。
そうなると、さてどうするか?だ。
その時に、結婚もし子供もいる。それを維持するには働かなければいけない。
しかし、おいそれと自分の探す仕事が見つからない。
そんな時に必要な能力がこれだ。
欲求は無いが、欲求を高める能力だ。
よく天職という言葉を耳にする。
あるいは、天命という言葉も耳にする。
そんなものはない。
有るのは「欲求」であり、その欲求を生み出す能力だ。
もしかしたら、自分のやりたい仕事ではない仕事が、実はやりたかったことかもしれない。
それと巡り合うためにも、この能力が必要なのだ。