30年前の出来たを超えている

「出来る」って何だろう?
0年前に出来ていた何か?
20年前に出来ていた「技」、30年前に「出来た」と思った「技」。
今日、やってみると、全く違うものになっていた。
それは自分でも分からないし、何がやれていたのか分からない。
でも「出来る」は、異なったところへ行った。

「分かる」ということも「出来る」ということも、30年前の延長、20年前の延長にはなかった。
10年前にはうっすらと予感はあった。
つまり、積立式の考え方では「出来た」は、円熟してはいくが、さらなる飛躍はしない。
ということに、薄々気付いていたが、今日ハッキリと分かった。

30数年前、80歳になった時の自分を想定して稽古を組み立てていった。
20代の稽古を3040代と続けても、80代になった時の稽古は出来ない。
確かに「私」という人間が、間違いなく年齢を、時間を重ねている。
そして記憶もそのように、5歳からの私と繋がっている。
だから、繋げて考えても仕方がない。

しかし、実際は繋がっていない。というより、繋がっていては駄目なのだ。
それは過去を引きずることだし、昔の自分をそのままにしておく事に他ならないのだ。
そんな事を、改めて今日感じた。

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