分からないことは分かる時期に分かる

「分かる・分からない」と言葉がある。
私の周りの若い人が良く使っているように思う。
分かることもあれば、分からないこともある。
特に、例えば、20歳の人が70歳の人の感性を理解しようとしても無理だ。
70歳くらいになった時に、その周辺が分かる筈だ。
だから、そういうレベルの事は、分かろうとする必要もない。
しかし、「分からなければ駄目」あるいは、「分からなければ馬鹿」だと思っている人もいるから、無理やりそこで分かる。

自分の理解できることしか理解できないということなのだが、その自分の理解できることは何なのかを、自分が知っておく必要がある。
それを知らなかったら、やみくもに「分かろう」と無駄な時間を費やしてしまう。
いずれにしても、常にあるのは「分からなければならないことなのか」という疑問を持つ視点だ。

ネットに流れている言葉の殆どは、私には分からないし分かろうとも思わない。
自分が何を書いているのかさえ分からない人が書いていることが多いからだ。
前に一度紹介したと思うが、社員研修の時、独りずつ仕事の中身と共に自己紹介をしてもらった。
一人の役職についている人が、大きな声で自信たっぷりに仕事の紹介から始まった。
私は途中で遮り「何を話しているのか分からないから、最初からお願いします」と注文をつけた。
改めてその人は話し出したが、結局同じ言葉を使ってくる。
「いやいや、私はあなたの仕事を知らないので、専門用語も含めて説明して欲しい」といった。
再度話し出したが、そう変化はない。
そこで、「あなたはどういうつもりで話しているのか知らないけど、あなたが今ここで話している状態は、自分は人の話も聞けず、自分の仕事も明確に分かっていない馬鹿だと、みんなに知らしめたのだと、わかりますか」と話した。

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