69歳の手習い

私は他人と話をしている時、かなり的確な返答が出来る。
それはどうして?
ちゃんと聴いているから、としか言いようがないのだが。
そして、相手の言葉を聴くことで、自動的に返答しているからだ。
しかし、それは言葉だけを聞いているのか、となると、きっと違うだろう。
声や表情や仕草や、その他諸々の相手からの情報を、全部かどうかは分からないが確かに受け取っているからだ。
他人の会話を見ていると、どうも言葉だけのやり取りだけのような気がしてならない。
だから、やりとりが無造作に見えるし聞こえる。
お互いがどこに向かっているのかも分からない。
「どこに」というのは、話の中身のことではない。
お互いの意志が、ということで、「誰に」話しているのか分からないということだ。
しかし、これが今書いているようにブログや書籍ということとなると、さほど上手に書いているとは言えない。
ということに昨日気付いた。
私は何を伝えたいのか。
本当に伝えたいのか?
ここを問いかけられる出来事があったからだ。
私はその昔、ネットスケープというブラウザがあった当時、その付録にあったwebページ作成ツールで、初めてwebページを作った。
そこからいうと、10数年前だ。
もしかしたら20年になるかもしれない。
Macのりんご姫が、初めて買ったパソコンだった。
その時代から、ソフトは色々使っているが、殆ど直感でやっている。
だから、いくらキャリアがあっても、全くパソコンのことやマニュアル的なことは知らない。
しかし、伝えたいことが有るので、むやみやたらと書きまくった。
現在もその延長でしかない。
で、生まれて初めて「教えてもらう」という行動をしてみた。
そこで指摘されたのだ。
「伝えていない」と。
そして「伝えてはいけないこと」もあると指摘された。
内容は豊富なのだが、伝えるということはしていないと。
言われてみればその通りだ。
目の前に人がいて、そこの関係の中でのやりとりは得意だが、一方通行は苦手なのだ。
これは講演等を頼まれた時、よくいう台詞だ。
内容を語っても、そこに伝える要素は入っていないのだ。
薄々感じてはいたが、これは目からウロコだった。
ワーク・ショップでも教室でも、私の先生は全ての人だという。
文字通りだ。
69歳の手習いだ。

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