身体と年齢は関係ない?
「武道家が語る人間関係の極意」
久しぶりの講演会です。
近畿地方の方は、是非お出かけください。
定員になり次第締め切りますので、お早めにお申し込み下さい。
http://ilt.jp/extra01/entry.html
先週の金曜日、久しぶりに初見宗家のお顔を見に行った。
相変わらずお元気そうで何よりだった。
確か83歳は超えている。
大半が外国の人達の道場では、宗家が小さく見える。
そんな大きな人達を相手に、縦横無尽に動きコロコロ転がす。
休憩の時、師範の一人と「どうして宗家はお元気なのか」という話題で盛り上がった。
冒険家の三浦選手にしても、どうしてそう元気なのか不思議でならない。
ある人にとっては、年齢が自分のやっていることに影響しないのではないか、とさえ思えて来る。
もっと言えば、年齢、加齢というのは、事実の一つではあるが一種の迷信、一種の固定観念なのかも知れない。
そう思うと、全く違った視点を持つことになり、自分の人生が変わる。
家にいると、結構生命保険の勧誘の電話が入る。
「全然興味が無いから、何も入って無いよ」というと、絶句する。
どうして保険がいるのか?保険がある、という人生と、保険はいらない、という人生は全く違う。
保険があるから病気になれる、保険が無いから病気になれない。
そんな考え方の違いは、身体にも影響している。
どうして先の心配をするのか、それよりも、今の心配をしろ!
今、生きているのか?
人生などそれに尽きる。
初見宗家に「こころの象(かたち)」を、完全英訳で改めて出版したことを告げると、喜んでおられた。
「こころの象」を日本で出版した時に、宗家とのお約束がある。
それは「こころのかたち」の次は、「からだのかたち」を書いて欲しいとのことだった。
宗家がお元気なうちに、完成させようと思っている。
宗家とは、直接的には20年近いお付き合いになるが、金曜日の姿を見てますます身体が軽く、まるで浮いているようにも見える。
「からだのかたち」は、幽玄そのものだと感じた。
つまり、気配や正体が無いということだ。
ということは、やはり意識と身体は、密接に関わっているということだ。
もちろんそこには「我」も関わっている。
宗家の身体は、武道の歴史、芸術の歴史に残る言葉そのものだ。
もちろん、稽古を重ねればそこに辿り着くのではない。
それこそ、道を間違えばそこには絶対に行けないのだ。
それを宗家に言うと「それは仕方無いですよ、ねぇ日野さん」顔を見合わせて大笑いした。