普通の人がいい

「武道家が語る人間関係の極意」
久しぶりの講演会です。
近畿地方の方は、是非お出かけください。
定員になり次第締め切りますので、早めにお申し込み下さい。

http://ilt.jp/extra01/entry.html
昨日の東京の教室には、初めての人が2人参加していた。
一人は女性で新体操のコーチで、一人は男性で別段スポーツも武道もやっていないということだった。
新体操のコーチは別として、もう一人の彼は素直に身体を動かしていた。
何かしらの武道経験者よりもはるかにましだ。
どうして?
大分前、ある有名な劇場の製作者の人と、ダンサーや役者について色々と話をした。
その時共通の話題として上がったのが「もしかしたら、ダンサーや役者というのは、普通のOLよりも感性が鈍いのではないか」だ。
もちろん千差万別だから、それで一括りには出来ない。
一握りの素晴らしいダンサーや役者に対して、圧倒的多数が何か勘違いしているのではないか、と結論づけ、納得しあった事があった。
それは、「誰でもダンサー」という風潮が作り出したもので、錯覚した人が沢山いるということだ。
もちろん、それも仕方が無い。
例えば、音楽を好きではなくても、教室に行き練習さえすれば、楽器を扱えるようになる。
おたまじゃくしを覚え、音を出せば「上手だね」と言われることもある。
となると錯覚して当然だ。
それと、プロとアマチュアの垣根がどんどん無くなるような風潮があるから、その場限りの狭い範囲での面白さを、メディアも製作者も排出する。
結果、観客と舞台の差がどんどん狭まり、垣根が無くなってしまっているジャンルもある。
かくて、本当に素晴らしいものは姿を消す。
そんな時代へとどんどん進んでいる。
そこを考えると、面白い。
だから観客は育たない。
だから演者は育たない。
どこに歯止めをかけるのか、それともこのまま放っておくのか。
もちろん、そんなことは私の知った事じゃない。
どうだっていい。
ただ、私のやれることは、垣根を作り出してやろうとあがけばいいだけだ。
と話は脱線してしまったが、スポーツや格闘技は別として、武道ということになると、習う人の捉え方がまちまちだ。
だから、勘違いも甚だしい人も混じっている。
どうしようか、と思う事がある。
よく「武道をするよりも、ちゃんと仕事が出来るようになりなさい」と帰す事もある。
その意味で、冒頭の普通の人は素直に従い、素直に動いていた。
縦系の連動にしても、そのままやるから、一発で出来ていた。
もちろん、出来たから「出来た」ではない。
しかし、最初の段階の出来たがなければ、中味を吟味する事も、成長させる事も出来ない。
ここをクリア出来ない人が多すぎるのだ。

Follow me!