何を見る?

レポート終了!
今回の「武禅」は何時に無く写真を沢山撮った。
写真は、一瞬を切り取り、そこに残す。
だから、ある意味で全部が写り込んでいる。
もちろん、どんな見る目を持っているのかで、見えるものと見えないものが出てくる。
「見る」というのは、「見る」ではない。
何を見たいのか、という基本的な姿勢のようなものが有り、それがあるから見えてくるのだ。
例えば、自動車を運転する。
その時、バックミラーやルームミラーを見る。
それは、自分の運転する自動車に迫る危険は無いか、を確認する為のものだ。
あるいは、パトカーがいないかを見る。
運転免許を持っていない人、運転のキャリアの浅い人は、ミラーは見るだろうが、それ程余裕が無いから見落としたりする。
「見る」とはそのようなものだ。
ワークショップでも教室でも、また「武禅」でも「何を見ているの?」と質問する。
それは、この自動車の運転というベースを持たずに「見ている」からだ。
ベースを持っていなかったら、それこそ何を見たらいいのか分からない。
何を見たら良いのか分からなければ、見えていないのと同じだ。
自分に即してみる。
日常では、当たり前の事としてやっていることだが、改めて指示されると途端に「見る」という言葉になり、「何を見なければいけないのか」等と変なモードになる。
その場に即したこと、自分のベースに即した事。
そこを抜かせば何も見えない。

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