もういっちょう見る

写真から見えてくることは沢山ある。
特に自分が何かをしている時の写真は役に立つ。
それに引き換え動画からは、見えてくる情報が少なすぎる。
中学の時、図書館に通い体操競技の本をよく見た。
鉄棒の一瞬や跳馬、床他、競技の一瞬を切り取ったものだ。
最初は「きれきだなぁ」と単純に憧れの目で見ていたと思う。
頻繁に見る内に、身体の姿勢を記憶するようになった。
頭の中に像が定着したのだ。
練習では、その像に自分自身を重ね合わせることを、自然としていた。
という意味での役に立ち方。
また、自分の写真であれば、その時何を感じていたのか、何を考えていたのかは記憶している。
つまり、自分の内的な運動は外見では写真のように見えている、ということが分かる。
客観的な目を持つということの一つになっているということだ。
動画の場合は、動画だから動いている線はリアルに分かるが、その時の内的運動はあまり見えない。
内的な運動の表れが、外に現れているのだから、実は内的な運動を見抜けなければ、何も見えないのと同じだ。
よく特番で、警察の名物警官や刑事を特集している。
車をみただけで、怪しいか怪しくないかを見抜く。
それと同じだ。
人の観察力というのも、途方も無い可能性が潜んでいるのだ。

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