日本人離れは、我々からだった。
「日本人離れ」と昨日書いたが、よくよく子供の頃を思い出すと、「日本人離れ」の最初の年代は、我々団塊の世代ではないかと思う。
幼稚園に入る前の年齢の頃の普段着は、殆ど着物で過ごしていたし、夏祭りや夜店には浴衣、正月は羽織袴だった。
もちろん、それは親が芸者で日本の伝統文化の真ん中を生きていたから仕方が無いと言えばその通りだ。
小学3.4年生の頃は、殆ど毎月映画を観に行っていた。
ジョン・ウエインの西部劇だ。
これには疑問を感じてはいた。
「どうして映画に行くのか・行けるのか?」という疑問と、どうしてアメリカの映画ばかりなのか?という疑問だ。
しかし、小学生だから意味もなく楽しい方が良いので、叔母に連れられて観に行っていた。
そのアメリカの映画は無料だったか、何かチケットの様なモノを見せていたように思う。
そのうち急激にTVが普及し、アメリカのホームドラマがゴールデンタイムに流れていた。
ラジオからは、エルビスプレスリーやポールアンカのロックンロールが流れていた。
これらは全て敗戦国の文化を根こそぎひっくり返す作戦だったのだろう。
子供の私は、ロックンロールと美空ひばりや三橋美智也、戦争ゴッコと進駐軍からもらえるチョコレートという矛盾を生きていた。
1968年辺りの安保やヒッピームーブメントにフリージャズとドップリ西洋にはまっていた訳だ。
そこから核家族になり、なし崩し的に伝統的な家族の崩壊に繋がっていったのだ。