自分を好き?

もしかしたら、多くの人は自分の事を好きではないのではないかと思う。
自分に取り組んでいない人が殆どだからだ。

それは、武道やワークショップで常々話している事だが、日常生活からの問題に気付き、その解決法としての「何か」を探すとすると。

例えば、奈良稽古会では、猟師さんが私の動画に目を付けそれを我流でやっていたそうだ。
また、同じリョウシさんでも漁師さんも、同じような経緯で私の動画を見つけ自分に合った連動を身に付けられた。
その事で、若い漁師と張り合っても引けを取らないようになったと仰っている。

その漁師さんは時々ワークショップにも顔を出してくれ「私は連動や胸骨を自分のものにするのに5年かかりました」とご自分の体験を皆さんにシェアしてくれる。

そして、改めて見つけた問題を私に提示しその解決法を探す。
先日は、何という名称なのかは知らないが、魚を釣り上げる糸(?)を直接手で握り、それを引き上げるというものだ。
重さは30キロ程のものらしい。
そこで指の使い方を指導した。
漁師さんは1年がかりでマスターすると言い漁に出た。

つまり、具体的な目的があるから「何か」を探すのであって、そして、そこで見つけたものが、自分に適していたらモノにするまで頑張るのだ。
そうすると、その「何か」を役に立てる事が出来たということになるのだ。

その「役に立った」という段階までの根気と情熱が有るのか、無いのか。

思うに、きっと一握りの人しか役に立てる事は出来ないのだろうと思う。
その一握りに自分がなるのかならないのか。
決めているのは、誰かではなく間違いなく自分自身なのだ。

漁師さんや猟師さんは、それが絶対に必要だから手に入れようとしているのであって、「出来たらいいなぁ」という夢や妄想を見ているのではない。
つまり、夢や妄想を抱いているのではなく、「本当に出来る人」になりたいし、ならなければ自分が他の人と同じ、この場合は、年老いたら衰える事になるという危機感を持っているのだ。
それは、私も同じだ。

だから、「もしかしたら皆は自分を好きなのではないのかもしれないね」と話すのだ。
私は「出来る自分が好き」で「出来ない自分は嫌い」だ。
ただ、そこを徹底して生きているだけである。

毎週月曜日 20時〜22時 武道研鑽会・愛敬塾にて稽古しています❗️
奈良稽古会では基礎を主に稽古しています。

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