自分が自分の身体で何をどうしているのかを知っているのかどうか、それを知らなければ砂上の楼閣だ

東京ワークショップも近付いて来た。
クリスマスも年末も。
予定が決まっていれば、そしてそれより以前に予定を考えれば何でも近付く。
それに応じて気分や意識が変わるから面白い。

また、「括り」という考え方も面白い。
何で括るのかで、常識観も全てのモノが決まる。
また「ほんとに括れるのか?」という事を考えるのも面白い。

そんな事で頭を回転させる事も、私にとっては面白いのだ。

昨日、ミラノからジュエリーデザイナーの智子ちゃんが道場に来ていた。
以前ミラノも大分変な人が増えているので、何か特効薬的な術があれば教えて、と言っていた。
今、日本で展示会をやっているので、時間の隙間があったから昨日道場へ来たのだ。

彼女はクラシックバレエをやっていて、その頃youtubeで私を知り、小遣いを貯めてミラノから日本にやって来た。
10年以上前からの知り合いだ。

当たり前だが道場での稽古はぎこちない。
がしかし、ぎこちないだけで出来てしまう。

試しに、男性を相手にやらせてみたが、やっぱり出来る。
男性たちは、目を丸くしていた。

先日も紹介したようにダンサーは一発で出来てしまった。

この差は、自分の持つ身体イメージとでも言うべき「自分は今どんな姿勢をしているのか」と、実際の姿勢との差がどれだけ少ないかだ。
ここの差が大きければ大きいほど出来る確率は下がる。

いわゆる姿勢に対する客観的な視点の有無、精度の高い低いが原因だ。

その意味では、身体を表現の手段として使っているダンサー達は、客観的な視点を持つ事は必須だ。
だから、その意味では出来て当然だとも言える。

しかし、武道武術も同じく、身体を使っての身体表現だ。
だが、大方が「強い弱い」だけに拘っているので、そちらには目が向かない。

私から見れば、それは不思議な事だ。
なぜなら、「強い弱い」を身体で表現しなければならないのだから、当然の事として「自分は何をどうしているのか」を知っていなければ、実現できないからだ。

海外のバレエのワークショップや表現者へのワークショップの時、必ずその話をする。

「武道・武術は身体を使って生死の駆け引きをするので、バレエやダンスよりも精密でなければならないのです」と。

東京ワークショップ12月2.3.4日残り8席

2点を同時に動かす

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