挨拶条例がいるかもしれない

日本では「当たり前の事」という考え方が薄れていってるような気がする。
社会生活を送る上での基本中の基本「挨拶するのは当たり前」すら、一部の人にしか残っていないのだから。

もう数十年も前になるが、ある主婦が「私の子供は見ず知らずの人に口を聴かないように言ってる。もちろん挨拶も」と自慢げに話してくれたことがある。
その理由は「誘拐されるから」だった。

この時、「このおばはん、どこまで頭が悪いのか」と信じられなかった。

頭が悪い、つまり、自分で物事を考える事の出来ない人は、自分自身の妄想を信じ切っているし、自分の都合で作り上げたストーリーも信じ切っている人だ。
現実を見れば一目瞭然の事なのだが、現実を見るよりも自分の妄想やストーリーの方が正しいと信じているのだ。

いわば「自分教の教祖」だ。
教祖だから居心地が良いのだと、私は解釈している。

先日、神田で喫煙可の喫茶店に入った。
マスターかオーナーかは知らないが、店に入った瞬間「こんにちは!」と大きな声で挨拶をしてくれた。
どれだけ気持ち良かったか。
東京に、こんな人がいるのかと驚いたくらい珍しく「人」だった。

挨拶は人を和ませる起爆剤だ。

しまいに、挨拶条例や挨拶法で縛られなければ、誰もしなくなるのだろう。
それって、私達は社会で生きる高等生物なのか?

春の「武禅」5月2.3.4日は、満席でキャンセル待ちになりました。

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