ワークの難しさは別にある

NDTのダンサー達を教えていて、改めて気付いた。
私のワークは相当難しいものだと。

Amyとの話の中で、そう言えばビリー(ウイリアムフォーサイスのニックネーム)が、「日野さんのワークは高度だから、他のカンパニーでは出来ない。私のカンパニーだから取り組めるものだ」と言っていたね、と笑いあった。

だから、という事ではないが「出来る・出来ない」の取り組み方は無意味だ。
私のワークは、要素を形にしているだけだから、その要素を視点にすれば良いだけだ。
つまり、自分の身体や動きに目を向けた時、その視座を持ち合わせていなかった事、そして、その視座から視点を見出し取り組めば良い事だ。
プロならそういった新しい視座や視点を持つ事は武器だと気付く。

だが、そこに徹底的に取り組まないのは、そういった身体やダンス直接の事ではなく、「今のままで仕事が出来ている」という考え方があるからだ。
であれば、そこに新しい何かが芽生える土壌が無いという事にもなる。
そこを変革しようと、芸術監督が今回私を指名してくれたのだ。

高度なワークだから、皆で協力し合わなければ、そしてきちんとチェックし合えなければ出来てはいけない。
そこに目を付けてくれたのだ。
だから、芸術監督もダンサー達と混じって汗を流していたのだ。

通訳をしている役者の武田さんのNDTレポート

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