思う

ピアニストで道頓堀セントジェームスのオーナーでもあった田中武久さん。
その命日が28日だった。

6年前、北大阪の入院先から電話があり、入院を知らなかった私は急いで病院へ向かった。
12月の中頃だ。
重篤な状態という事も知らなかった。
その意味では青天の霹靂だ。
入院先に着くと奥さんもおられたが、田中さんとゆかりのあるミュージシャンや、お世話になったミュージシャンが誰もいないのに驚いた。
それを奥さんに聞くと「日野さんにしか連絡してません」とおっしゃる。
「何でや?」と思ったが、口には出さなかった。
色々あるのだろうからだ。

来春にはまた一緒にコンサートをしましょう、と激励し握手を交わした。
その手は、ピアノを奏でる手ではなく病人のそれだった。
本気で春のコンサートを考えながら帰京した。

それから数日後の電話は、コンサートは永久に出来ないとの事だった。

人の生命は誰にも分からないが、誰しもそこに辿り着く。
もちろん、私も。
そんな事が頭を巡った日だった。

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