コピーの時代から

ふと、ジャズ時代の仲間内の言葉を思い出した。
「あかん、あれは
いなたいわ」「頭で考えたら駄目やで、じー感一発やで」
こんな言葉で演奏が展開されていた。

「いなたい」は、今でいうとダサいになるかな。
「じー感一発」は、感じ・雰囲気だけ、になるか。

こういう言葉で教育されているから、その実体は何なのかは、さっぱり分からない。
さっぱり分からないから、逆に「いなたくない演奏」はどれか?を見出す努力をする。
感じや雰囲気も、良い演奏を聴く事で身に付けていった。

しかし、年数が経つ内に、これらの真意は「コピーではない」「ジャズ既存のフレーズではない」という考え方だと気付いた。
当時は、まだまだコピー全盛の時代だったからだ。
「見よう見真似」段階だったのだ。
バークリーの教則本がまだ余り出回っていない頃だ。

もちろん、私もコピー、見よう見真似から入った。
が、「何でやねん」と気付いた。
ジャズという音楽の広さに気付いたのだ。
そこから、仕事としては既製品のジャズをしていたが、少数の仲間と「ジャズとは?」を追求していったのだ。
それが「フリー・ジャズ」への入り口だった。

フリージャズというスタイルではなく、そのものだ。
これは、今にも切れそうな縄を編んだ吊り橋を渡っているようなものだ。
「それは何?」と問われたら壊れてしまうような脆さを持っていたからだ。
何しろ「誰も耳にしたことが無い音」だからだ。

来年の1月8日(土)。和太鼓の息子とデュエットを演る。
誰も耳にしたことが無い音になる。
それは全編即興だからだ。
その時限りの音だ。
その瞬間のお互いの音楽性の融合である。
https://hinobudo.wixsite.com/drumsolo

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