エネルギーが足りない?何それ
「武禅」のレポートによく出て来る単語がある。
それは「エネルギー」だ。
エネルギー不足と使われている。
使っている雰囲気は分かるが、その「エネルギーをどうすれば出るのか?」と書かれてくるとサッパリ分からなくなる。
これも言葉に操られている一つだ。
つまり、雰囲気を掴める単語を使う事で、具体的作業を見えなくさせているという事だ。
「人に向かうエネルギーが足りない」そう使うと、じゃあエネルギーをどう補給するのか、何か出せる方法があるのか?と、答えが無い幻の世界を彷徨う事になるのだ。
結果、「エネルギーが足りない」と体感した事が、単なるイベントとして終わってしまい、再びそういう場面に遭遇すると「エネルギーが足りない」と、結果死ぬまでその言葉を言い続ける事になる。
別段、それはそれぞれの人の自由だから、死ぬまで言い続ければ良いのだが、間違いなくその人は、人に向かう力が弱いというのはそのままだ。
つまり、自分が「これでは駄目だ」と実感し、それを修正しようという気持ちが湧いているのに、「エネルギーが足りない」という言葉で、死んでもそこを修正できないということになるのだ。
その意味でも、幻、雰囲気として使う言葉を選り分けなければいけない。
具体へ導く言葉や、具体的作業を想起させる言葉、それと雰囲気だがそこに具体的本質が見える言葉。
そんなところが大事なのだ。