こころがゆたかだと感じる時
「こころがゆたか」だなぁ、と感じた。
それは何?ではなく、正しくそう感じたという私の主観だ。
だから、そのことを共有する事は出来ない。
ただ、「何から」そう感じたのか?は共有することが出来る。
こういった事へのアプローチは西洋的には、心理的な分析が主になる。
だから、その事に私は違和感を感じるのだ。
それは、常に説明の言葉が必要な文化が西洋だから仕方がないのだが。
「こころがゆたか」それは、「それ」だ。共有できるのは、私は音楽を聴く事で「こころがゆたかになる」を感じたのだが、皆がそうではない筈だ。
だから、それを強制は出来ない。
あくまでも「自分がそう感じる」たものだからだ。
もちろん、音楽を聴く事で「こころがゆたかになる」と感じている人も沢山いると思う。
そんな人とは、きっとある線までは共有できる筈だ。
但し、私の場合は歌詞が無い方がよい。
それは歌詞に誘導されてしまうからだ。
だから、私はインストルメンタル(器楽曲)か、私自身が歌詞の解釈できないものを聴く。
私は歌詞のある曲は、別物だと捉えている。
それは、歌詞の持つ世界観や、歌詞を表現する「声」そのものの持つ世界観があるからだ。
それを楽しみたいから、分けているのだ。