二流の脚本は

何時の頃からか、「くだらない」映画が嫌いになった。
それは当たり前だろう!

その、くだらないというのは、脚本の作為、つまり、感情の起伏が不自然なもの、あるいは、絶対にこうなるという流れをもった作品に対しての違和感。
それが私のいう「くだらない」だ。
つまり、二流の脚本にいらつく、ということだ。

映画を見ていて、ふと「もうええわ」という感じになる時が有る事に気付き、そこを掘り下げて見たのだ。
相当時間がかかったが、「二流の脚本はくだらない」というところに落とし込めたのは、我ながら素晴らしいと思っている。

ドキュメンタリーを見ていて、見る側の感情の起伏を計算していない画面でも、思わず涙する事に出会う。
その事と、照らし合わせをした結果だ。
また、アスリートのひたむきな姿や、何気ない日常での人同士の姿や動物同士の姿。それらに涙する。
そういった、私自身の感性、あるいは琴線に触れるところを探求したら、二流の脚本に辿り着いたということだ。

 

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