この世はファンタジー
昨日は七夕。
七夕は小学生の頃しかなかったかな。
人は、子供であろうが大人であろうが、それよりも興味のある事を見つけると、それはまるで無かったかのように消えてしまうからだ。
記憶の片隅にはあるのだろうが、意識しないから浮かび上がっては来ない。
七夕を楽しんでいた頃の自分は、どんな自分だったのかを思い出そうとしても浮かんで来ない。
もちろん、「きっと、こんな自分だったのだろう」と、時間軸がバラバラなエピソードを自分の都合で作り変え「こんな自分」を作り出してくる事もある。
そして、その事が記憶に残る。
そうすると、その後、その作り出された記憶を、「こんな自分」として定着させ思い出す。
頭はそんな働きを延々と繰り返しているのだろう。
脳内はファンタジーの世界だ。
だが、七夕以外に興味を持った子は、七夕は現実には存在しなくなる。
そういった、それぞれが見えると、それこそ現実もファンタジーだと捉えられる。
ある人には「有る」が、ある人には「無い」からだ。
つまり、現実も、それぞれの捉え方で、それぞれに存在しているのだから、間違いなくファンタジーだ。