聴き取るのは
あるTVの番組打ち合わせをした。
ディレクターの思惑があり、進行が決まる。
そこに合わせて話をする。
本当はそんな事を思っていなくても、話の流れでその話を膨らませる。
それが即興だ。
「日野さんは台本がいらないから助かります」とは、嬉しい言葉だ。
私の即興力を認識してくれているからだ。
これも、関係だ。
たった数分の会話で、その肝心の部分を認識しあう。
そこが無ければ、延々とお互いに説明合戦を繰り広げるだけになるからだ。
社会は全てこれだ。
もちろん、相手に即興力がなくマニュアル的な思考しか持たなかっても、こちらが相手の話に乗る事で、その相手は自分自身をマニュアル的な人間だとは感じないようになるのだ。
「話を聴く」事が大事だと、武道でも明鏡塾やワークショップでも話す。
この「聴く」は、相当深い内容を持つからだ。
つまり、上辺の話でも、深い内容を持つ話も「聴き取る」。
そして、一番大事な、感情や気持ち、心の動きまでも「聴く」。
このレベルになると、聴き取るではなく、完全な反応であり同調でもある。
「聴く」のは、届けるよりも大事かもしれない。
しかし、面白い事に、届けると聴くは同じものなのだ。
届けるものを持たない人は、聴き取ることも出来ないのだ。
武道では攻めも受けも同じだ。
と言うところが、私が得たヒントだ。
武道という、日本の伝統文化は、人間の根幹、つまり、生命の生存に関わる「関係」に端を発し、考え方からそこに迎える形式を作り出しているのだ。
東京ワークショップ6月4.5.6日
後12日‼