馬鹿の極み

身体は神経を通して繋がっている。
また腱や筋を通して連関している。

が、しかし、実際に繋げるのは意識だ。
意識の指示によって身体は、どこまでも繋がる。
そうなると、運動生理学や解剖図が見せる通りではなくなる。
また、運動論というものも通用しなくなる。
実は、ここが「人間身体」と「解剖された身体」との分かれ道だ。

解剖された身体から物事を考えた時代に、抜け落ちていたもの、そして今日でも抜け落ちているもの、それは「意識の働き」だ。
きっと、目に見えないから、それこそ陽の目を見ないのだろう。
そこが視点の貧困であり、「自分という身体」をそれこそ分析しないからだ。

解剖された身体からの時代であっても、解剖したのは間違いなく人だ。
その人には感情もあれば意識もある。
どうしてそこを抜かしたのか。
自分の事、人の事を棚に上げたのだ。
馬鹿もここまでくると、開いた口が塞がらない。

東京ワークショップ6月4.5.6日
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