相応しい身体は
「その運動が出来る」のと「その運動に適した身体になる」のは全く次元の違う事だ。
その運動が出来るというのは、例えば、自転車に乗れる人が、一寸難しいアクロバティックな乗り方が出来た、と、アクロバティックな乗り方を職業としている人の違いだ。
武道での基礎的な体重移動は、全く武道に縁のない人でも、「指示された事」を守れば出来る。
大方の人の「出来る」は、この事を言う。
もちろん、楽しみや達成感を味わう事としてそれは良い事だ。
その事に適した身体になるということでは、一流のアスリートの方達も同じだ。
同じ「泳ぐ」という言葉だが、世界クラスの人と一般の人の泳ぐは全く違う。
1日何十㎞も練習するアスリートは、間違いなくそれに相応しい身体になっている。
「相応しい身体」というのは、肉体の事ではない。
考え方も感性も、その事に相応しいから、相応しい身体が形成されているのだ。
先日競輪のS級1班で活躍する選手から電話が入った。
かれこれ7年の付き合いだ。
テーマをアドバイスし、そこから何かを発見したり気付いたりしたら電話が入る。
また、何かしらのアドバイスをする、そんな関係だ。
「身体が自転車を漕いでいるという感じがしなくなった」という。
バッチリだ。
そこが最終地点だ。
「漕いでいる感じがしないのに、猛烈に自転車が伸びていくんです」
「それが身体やで、自転車に相応しい身体になったということや」
「やっとですか、7年かかってますね」
「何を言うてるんや、無茶苦茶短期間やで」
「レースがあり、そこで試して、また訓練する。それが良かったのですかね」
「そうやと思う」
1日8時間は練習し、先日からダッシュを1日100本すると決めた。
一般的にダッシュは1日10本らしい。
だから、仲間の選手からは「あいつ壊れよった」と思われているという。
彼は、後10年選手を続けるという。
ここから彼は選手として上り調子になっていく事は予想出来る。
その身体を手に入れてるからだ。
ガムシャラに訓練した壊れやすい身体ではなく、胸骨→膝→足という動きの線を身体に手に入れ、その線を実践化した身体だ。
ガムシャラで作り上げた身体は、年齢と共に衰えていくものだ。
これは、誰にも教える事は出来ない。
その身体は、その選手の工夫の結晶だからだ。
当然、競輪選手特有の大きな太い太腿ではなく、細い足だ。