シナプスが変化している

Zoomで会議を行った明くる日、フィンランドに住む役者とスカイプをした。
役者の彼女から「zoomは疲れないか」と質問された。
私は、「滅茶苦茶疲れた」から、そう答えると「何ででしょうね」談議になった。

これは、以前紙焼きの写真から、デジタルに変わっていった時、気付いた事がある。
その時、将来的にデジタル画像が紙焼きに追い付くくらい画素数が増えても、アナログには敵わないだろうという結論を持った。
つまり、ドットの数がいくら増えても、絶対にドット間の隙間を埋める事は出来ない。
つまり、アナログに比べて、情報量は限定されているからだ。

人と人の会話は、表情を読み取ったり、僅かな感情のニュアンスの変化を感知する、という事が重要だ。
もちろん、それによって反応が起こって、言葉や声が変化していくからだ。
それが端末の画面から感じ取れないから疲れるのだ。

その事を発展させると、逆に日常的にそういった作業をやっていない人にとっての端末画面は、きっと日常と同じなのだろうと思う。
そういう人は疲れないだろうとも思う。
つまり、既に人類は区分けされているということだ。

人間の機微を感じ取れない、あるいは、そこに反応しないのであれば、それは生物ではない。
デジタルを普通だとしている人の見る景色や人の顔は、きっと平面的なのだろうとも思う。
脳のシナプスの数が違うのかどうかは知らないが、間違いなく別の回路になっていることだろう。

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