他人も分かっているという思い込み
昨日の「明鏡塾」で、足元をすくわれた。
といっても失敗の話ではない。
「既に分かっている事」とこちらが勝手に思い込んでいた、という事に改めて気付いたということだ。
「明鏡塾」のカリキュラムで「筋肉に触れる」がある。
誰でもそんな事は日常的にも体感している事だと思い込んでいた。
しかし、看護師から「初めて筋肉とはこれかと知った」とコメントされたので、「既に分かっていると思い込んでいた」と気付いたのだ。
これは、私の完全な誤解だ。
無意識的な日常行為と、認識されまた意識的な行為は、誰でも自動的に変換されるものだと思い込んでいたのだ。
それは、私がそうしているからだ。
これは、先日のzoomでの会議でも気付いていた事だ。
そう、当たり前の事だが人は違うのだ。
専門的な事と言っても、全ての専門家が専門家ではない。
「専門に」という自覚や、そこから発生するであろう心構えが無い人も沢山いる。
単に専門にやっているだけだ。
だから、言葉を変えれば「それだけをやっているだけの人」なのだ。
こういう人が、きっと大半なのだろうと思う。
それは、専門学校という名の学校を卒業し、その道にはいったとしても、決して本当の意味での専門家にはなれないからだ。
大方が「それだけをやっているだけ」だ。
もちろん、例えば棟梁がいて2番手3番手とあり、下仕事迄序列があるし、質的レベルも仕事によって区分けされている事で分かる。
「それだけをやっているだけ」のそこだけを見ると、いかに人生を貧しく過ごしている、あるいは、自分を貧しく育てているのかと可哀そうに見える。
もちろん、当人達はそうではないのだから大きなお世話だろうが。