己を知れば
「流れに乗る」を極端に表現すると、「自分のペースでやるな」となり、逆に言うと「相手のペースに巻き込まれろ」だ。
現代の風潮とは真逆のようだが、これが出来ない限り、他人と様々な面で衝突するしかないのだ。
それは、人はそれぞれに違う、という、人というもの、それが複雑に組み合わさった世間を構成する人間模様には、当たり前の前提条件なのだ。
衝突しか選択肢がないとしたら、相手の力よりも、あるいは、相手の方が知力が勝れば、従うしかない。
もしくは、壊されるしかないのは、火を見るよりも明らかだ。
「流れに乗る」は、相手を理解するということでもあるのだ。
有名な孫氏の兵法に「彼を知りて、己を知れば、百戦して危うからず」がある。
この「彼を知りて」の高級版が「流れに乗る」だ。
孫氏の「彼を知り」というのは理解の事だ。
これは、こちらの理解力や判断力が問題になるし、必ず自分にとって都合の良いようにしか解釈しないのが常だ。
という中でも、客観性を持ち合わせている人だけが、この孫氏の兵法を実際として使えたのだ。
「己を知れば」は、文字通りの事なのだが、一人で日常を過ごす自分の事ではない。
社会で世間での状況の中で、という話だ。
そして平時ではなく、突発的な事が起こった時の自分自身の本性をという話だ。
これらは全て人生を歩く事とリンクする。
それが武道の稽古の根幹なのだ。
武道という一つの形式だからこそ、これらを身体として、行動の実際として錬磨出来るのだ。
というような内容を、ワークショップで行っている。
だから「関係がテーマ」なのだ。