序列は責任を知る形式だ
先輩が後輩を指導する。
当たり前の事だと思っていたが、実は当たり前ではない事を知った。
むろん、今の話ではない。
何十年も前の事だ。
道場には、先輩と後輩がいる。
1日先に入っても先輩、1日遅れて入ったも後輩だ。
あるいは、年長者がそれよりも若い人を指導する場合もある。
これは、道場では通らない事が多い。
若くても古い人がいるからだ。
こういった序列は、社会では絶対に必要だ。
責任を学ぶ事に繋がるからだ。
もっと言えば、兄弟なら兄が弟の面倒を見る。
これも責任だ。
弟や妹が悪さをして親に叱れる。
その叱られるは、兄や姉の役目だ。
物事をフラットにしか見えない人には、理不尽だという事になる。
しかし、きっと動物は自然とそうしているのではないかと思う。
もちろん、それは種を絶やさない為の遺伝子の策略だ。
当たり前ではない、というのは、人の関係をフラットにしか見えない人の絶対量が増えて来ていることだ。
「どうして?」はどうでも良い。
間違いなく教育とメディアの垂れ流す、最もな情報の影響だ。
それが時代の移り変わりというものだろう。
でも、私が若い頃、ジーパンに長髪が世間を席巻した。
当時の大人達は一斉に眉をひそめた。
そんな事を思い出せば、別段時代は移り変わっていないとも思う。
しかし、確実に移り変わっている。
社会を構成する人と人の関係が、薄くなっている。
それこそビールが、ノンアルコールビールで満足、という様な薄さだ。
これでは、生物である必要はない。
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