親心の歪み
いわゆる高学歴と呼ばれる人で、小さな子供の頃、親や周りの大人から叱られた事のある人はいるのだろうか?
また、こんな場合もある。
自分が子供の頃苦労したから、子供には苦労をさせないように育てる親、育てようとしている親は沢山いると思う。
その意味が全く分からない、私の理解の範疇を超えすぎているからだ。
自分は苦労をした。
「本当か?」
というのは、何が苦労だったのかを問うた事があるのか?
苦労とは何か?を問うた事があるのか?だ。
それは、それを味わった時期、単に「辛かっただけ・しんどく感じただけ」なのではないか?
つまり、後々の事を考える余裕がなかったり、思考が浅かっただけなのではないか?
何を言いたいのかというと、実は、その苦労を経過したことで、自分はそうではない状況や状態を手に入れた。
そして、状況や状態を手に入れただけではなく、その苦労をものともしない気持ちの強さや、工夫をするという実際を体得している筈だ。
そこを抜かしてしまうから、「辛かったこと」だけが記憶の中で浮き彫りになり、「同じ苦労はさせたくない」となっているのではないか、なのだ。
それこそ「おしん」ではないが、そのまま老いていったのなら果てしなく辛い話だが、「子供に苦労をさせたくない」というレベルになっている人は、そこを考える必要があるのだ。
どうして、こんな事を考えるのかというと、躾や体罰、その他諸々の、子供に対する教育が、完全に間違っていると感じるからだ。
もちろん、大人が作り出している風潮も同様に、完全に間違っていると感じる。
それは、「人を弱くする・変化に対応できない」人を輩出するだけだからだ。
敢えて言うと「子供には苦労をさせたくない」というのは、現実や人の成長を見ない、自己満足でしかないのだ。