本来言葉の下地は愛情だ

方言には愛情が下地にある。

言葉は当たり前だが、気持ちの現れでもあるし、何かしらの伝達道具でもある。
ただ、標準語になった時、前者の気持ちの現れは、極端に希薄になる。
それは、私自身が大阪弁、さらに、下町の汚い大阪弁だからこそ考えるようになったのだ。

「お前は、アホか」は、日常いたるところで使う。
もちろん、現在の事は知らないが、私が子供の頃の65.6年前からの話だ。
それを標準語に置き換えると、意味としては否定している言葉になる。

しかし、大阪での実際を分析すると、からかっている程度であり、言われている人の人柄が良いと見極めた上での、アンバランスな行為や行動に対する言葉だ。
だから、人柄の悪い人には用いないのだ。
人柄の悪い人に用いる時は、既に喧嘩状態で、言い合いから殴り合いに発展する。
だから、単純に相手を否定する為に用いる言葉ではないということだ。

日常的に使われるから、当然、その言葉に免疫を持つし、別段言われて落ち込む事もない。
もう少し突っ込むと、「お前はアホか」という言葉が出るようになると、その関係は密になっているとも言えるのだ。

以前も書いたが、私がドラマー現役時代に、観客からの「早よ、止め、ボケ、おっさん引っ込め」くらいの野次はいくらでもあった。
そんな時「やかましいわ!黙って聞けアホンダラ!」とドラムを叩きながら言い返す。
大きな会場になればなるほど、そういう事態になっていた。
そういうコミュニケーションであると同時に、面白くも無い舞台は壊してしまえ、という熱も入り混じってのものなのだ。
その意味では、当時の客は正直でもあったのだ。

ドラムを止めようと思っていた時期に、面白い企画が私のところに持ち込まれた。
何の事はない、商店街の客集めだ。

大阪に京橋という場所がある。
旧砲兵工場跡のすぐ近くで、やはりガラの悪い地区だ。
そこにあるグランシャトーという飲食店が集まるテナントビル、その屋上でのイベントだった。

私は出演者のメンツを見て快諾した。
ロック、ブルース、それに私達のフリージャズ、メインは今や俳優で大活躍の麿赤児さん、アルトの坂田明さんのデュオだった。
バンドの大方が関西で活躍する実力者達だ。
この時、私は武道を教えておりドラムから遠ざかっていたので、スティックを飛ばさないように、ガムテープを指に巻き叩いた。
「アキラ!死ぬまで叩け!」の声援に、ガムテープを剥がして叩きまくったのを思い出す。

イベントは順調に進み、トリになった。
坂田さんが出て来てソロで吹き出す。
場内は動かない。
麿さんが登場、ゆっくりと動きながら舞台の鼻まで来る。
「同じことするな!」「またそれか!」「ひっこめカス!」
阪神タイガースの応援を想像してくれたらよい。
観客は大いに盛り上がっていた。
もちろん、この場合は麿さんも坂田さんも動じないから、このやり取りが成立するのだ。
当然、やり返したら又別の展開になり、違った面白さになったろうと思う。

私は客席の後ろにいた。
「ほんまに壊してまえ!」と、当時劇団日本維新派の白藤茜やスタッフ達に声をかけた。
「どうしたらええかな」「舞台の後ろにある梁にロープをかけて、そこを渡ったらどうやろ」それで決定した。

舞台ではデュオが続く。
舞台後方では、ロープを張る作業が入る。
観客がざわめく。
ロープが張られた。

「誰が渡る?」「そら白藤しかいないやろ」「よっしゃ!」
白藤がロープのところに行く。それを見た観客がヤジる。白藤茜は、ある意味スターでもあった。
小児麻痺の片足を引きずりながら、何と鳶職をやっているのだ。
特異な風貌で維新派の舞台を、所狭しと暴れていたからだ。

そのやせ細った片足を引きずりながら、ロープにぶら下がった。
観客は大興奮だ。
「アホ!落ちてまえ!死ね!」ありとあらゆる言葉を、白藤に浴びせる。
当の白藤はぶら下がりながらも、「お前がやってみろ」と返す。
麿さんも坂田さんも完全に飛んでしまったが、黙々と時間を消化していた。

白藤が無事ロープを渡り切ると大拍手だった。
「白藤エライ!」
この時の言葉だけを取り出して、否定しているとか、何と品の無い、というのは通用しない。
生身の人間の気持ちが、竜巻のように席巻した会場だったのだ。
それを標準語では理解出来ないだろう?
言葉は気持ちの現れであり、その気持ちも薄っぺらなものではなく、人間の奥底にある生命の鼓動のようなものなのだ。
だからこそ、人同士が響き合えるのである。

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