人を否定しても仕方がない
相手に方法を教えて欲しいと頼まれて教えたが、やる人とやらない人がいる」との主張。
言葉だけを見たり聞いたりすると、やらない人はおかしいとなる。
それは、方法を教えてと頼んだ人だからだ。
そして、やっている人がいるから、教えた人の教え方が悪かったとは言えない。
そういったところから、教えた人は正しくて、やらない人は間違っている、という答えを導き出したのだ。
しかし、そもそもそういった答えを導き出さなければいけないものなのか?という問題があるが、どうしてもそこに目が向かない。
また、やらない人は教えた人に対して、何らかの不快な気分を持ったのかもしれない。
教えた言葉が伝わった人と伝わらなかった人。
伝わらなかった人に対して、どんなフォローをしたのか?
どうして伝わるまで工夫をしなかったのか?
そこを抜かして、やらない人はおかしいという結論を引き出すのは、それこそ「おかしい」のだ。
というよりも、教えて欲しいと頼まれているのだから、教える努力はどれほどしたのかだ。
やらない人は間違っているという結果を出す事自体、そのやらない人とは関係を持ちたくない、持ちません、という意思表示になる。
もっというと、同じ職場で、同じ従業員同士での結果を出すのは、基本的には間違っている。
そこに結果を出すことで歪みが生じて、肝心のお客さんに対してのサービスに頭が回らなくなるからだ。
もちろん、おかしい人は沢山いるし、伝えたのにやらない人も山ほどいる。
そんなことは当たり前の事としてあるが、そこを突っ込んだところで何ら生産的ではない。
それよりも、「自分はどうなのか」と考える方が自分にとっても会社にとっても、遥かに意味のあることだ。
一言いうと、この単純な主張は、まるで子供だということだ。
子供は立場や関係に気づくことはないからだ。