池江選手の復帰から

水泳の池江璃花子さんが、1年以上の闘病生活を経てプールに復帰した。
私には闘病生活そのものは想像出来ても、その内面を計り知ることは出来ない。
がしかし、おおよそは見える。
プールに復帰し、見事に予選を1位で突破した。

それこそ涙が出る。
その涙は、池江璃花子さんの闘病や復帰の為のトレーニングでのこころの葛藤が写り込んだからだ。

池江さんに限らず、こういった不屈の精神を見せてくれる人は沢山いる。
そういった事を知る度に、私自身も「よっしゃ〜」が湧き上がる。
そういう多くの事例に、何度励まされたことか。

そう考えると、人は知らない人とも繋がっているともいえるのだ。
しかし、この共感や共鳴現象は、「私だけ」で生きている人には起こらない。
あるいは、判断主体で生きている人には起こらない。

池江さんの闘病や苦悩は理解できる。
その理解が共感や共鳴だと誤解しているからだ。
この共感や共鳴という意味不明の言葉は、動物的な生理の賜物だと私は解釈している。
それこそ、ここは将来もっと高性能になるAIにはインプット出来ないところだ。
人間的というのは、ここがベースになっているのだ。

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