もう秋だ

朝、ベランダの戸を開けると風が身体にあたった。
「あれ~」秋の風だ。
私は今日感じたが、もしかしたら昨日かも一昨日かもしれない。
しかし、確実に秋だ。

今日は熊野に戻るが、ススキが顔をのぞかせているかもしれない。
季節は「何時の間にか」変化する。
それを体感できる感性を持っている事を嬉しく思う。
野生がまだ残っているということだからだ。

今年は特に、この季節感が希薄だった。
それはコロナ騒がされが、全世界を覆ったからだ。
大方の人の意識は、コロナに動いてしまっているから、体感覚も鈍ったのだ。
「不安」という心情は感覚を鈍らせるのだ。

世界はコロナ対策に終始し、それこそ我を忘れてしまった。
という状況を作り出したのだ。

2月頃、この騒ぎを起こした奴は、何で儲けるのか?と考えてみた。
最終的にはワクチンだろうと思った。
同時に、「不安を煽れば人を誘導できる」という実際を実験し大成功を収めている。
そこから、今後の戦争はこういう形態をとるだろうと予測は付く。
その国の建物や設備を破壊せず、また大量殺戮をせずに国盗りが出来るからだ。

それは単に、私の独り言だ。
だが、そういう視点を持ちコロナを体験しているのと、不安のまま意味もなく生きているのとでは、確実に1日という自分の時間の価値は違う。

道を歩いていて、前から人が来る。
その人が急に立ち止まり、私が歩くのを避ける。
「何じゃ、お前、喧嘩売ってんのか」と反応してしまう。
コロナ脳の人間は、他人にどれだけ不快感を与えて生きているのか。
お前より、コロナの方がましだ。
単に健康被害だけですむからだ。

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