ミコちゃんの死

弘田三枝子さんが亡くなった。
と、今日知った。

10代前半の私のアイドルだった。
初めてコンサートへ行ったのはミコちゃんこと弘田三枝子が16才の時だった。
私よりも一つ上で、誕生日も1日違いだから、ガキには十分ファンになる下準備があったのだ。
もはや会場の名前は完全に忘れてしまった。

バックに宮間利之とニューハードオーケストラだったと思う。
幕が開き、真っ暗な会場にベースソロが響き、そこにミコちゃんの「マックザナイフ」が被ってきた。
1コーラスはベースとのデュオだった。
「かっこいい!!」でも拍手はない。
私達満員の観客は、圧倒的なパフォーマンスに押されて拍手すら出来なかったのだと思う。
いわゆるヒット曲は殆ど歌わずに、米軍のキャンプ周りで培われたジャズを披露したのだ。
私がジャズの世界に入ったのは、もしかしたらこの体験が刷り込まれていたのかもしれない、と今気付いた。
この時、大人の世界と子供の世界という感覚を味わった気がした。

時が流れ、度々登場する義弟と、弘田三枝子の話で盛り上がった事がある。
この時、義弟に指摘されたのが「凄いとか上手と言われても、知らない人には何も通じない」だった。
なるほど、言われてみればその通りだ。

頭に来るから弘田三枝子のCDを買い聞き直した。
そして言語化に挑戦して行った。
もちろん、言葉で音楽そのものを語ることは出来ない。
しかし、こういった出来事が、私の言葉を選ぶ土台になっているのだ。

パンチの効いた歌声、というのが当時のキャッチだった。
その通りで、声のアタックをコントロールするのが絶妙なのだ。
リズムに対してアタックの場所を変える事で、ノリを変化させるのだ。
声量も半端ではない。

とにかく、その弘田三枝子さんが死んだ。
私達、団塊の世代を楽しませてくれた一つの星に、「ありがとう」を捧げます。

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