偏見と差別
差別や偏見は、海の向こうの話だけではない。
ただ、日本の場合は、そこまで酷くならないだけだ。
今は、コロナ関連でそれらがあるという。
「有るという」というのは、私自身が被ってはいないからだ。
だが、被害を被った人からの話はきく。
コロナ騒動自体もそうだが、どうしてこうも人の「気持ちが弱くなったのか」そこに注意が向く。
「弱い奴には武器を持たせるな」とは、私が小さい頃にきいた言葉だ。
強い奴が武器を持っていても、強いから使わないが、弱い奴は直ぐに使う、弱いから間違って使う事も多い。
だから持たすな、という話だ。
この「武器」を「正義」とか「大義名分」に置き換えると、差別や偏見の根が見える。
中途半端に気持ちが弱いから、攻める事で護った気になっているのだ。
俗にいう自粛警察も同じだ。
気持ちの弱さはどこからくるのか。
結局のところ、頭の悪さと人との揉まれ慣れしていない事に尽きるだろう。
生まれつき気が弱いというのもあるだろうが、そんな人は今回のように、医療従事者に意味不明の暴言を吐くような事しないだろう。
生まれつきであれば、人と対することはしないだろうからだ。
しかし、こういったことは加速度的に増えるだろうと思う。
というのは、社会的距離だのリモートワークだので、人との実際的接触が減るからだ。
もちろん、リモートワークに関しては、世界の流れだし効率を考えると、その方がよい場合が多いからだ。
これは現代の社会的必然だから仕方がない。
しかし、社会が仲良しクラブ的な状態にならない事を祈る。
それも、クラブ以外の人を排除するし、偏見を刷り込むことにも繋がるからだ。
何よりも弱さを武器にする輩が増えるからだ。
自分とは異なる人の集団が社会であり、その集団の中で揉まれて、社会という全体を理解して自分との関係を見出していくのも人生で大切な事なのだから。