自分とは異なる生き方

「体感したい」という人がいる。
もちろん、道場でもたまにある。
「どうして?」と聞くと「楽しいから」だそうだ。
武道なり格闘技なり、あるいは、スポーツをやっていてなら分かる。
だから、「いいですよ」と応じる事もたまにある。

この場合は「皆に自慢できるから」と続いた。
小学生の頃、あるいは中学生の頃なら分かるが、良い年をしている人のそれは理解できない。
「そんなことって楽しくないですか?」とも聞かれた。
「いいや、あなたの楽しいというのは何?ちなみに、私は楽しいという言葉は持っていないから分からない」と答える。

そんな時、色々と考える。
もちろん、会話と同時にだ。
どう対応すべきかを、同時進行で考えるのだ。

以前、武道は「体験できるから良い」と、畑違いの人から言われた事もあった。
そう言われた瞬間「??」になった。
この人は、一つの身体の技というか技術が仕上がる、つまり、他人に対して使えるようになるまでどれだけの時間と思考を費やすのかを想像できない人なのだと理解した。
同時にそれが武道であって、相手を倒したりする現象が武道ではないからだ。
それだけで、私はその人を信じるに足りる人ではないと判断した。
しかし、社会的繋がりもあるから「まっ、いいか」で片づけた。

しかし、「皆に自慢できるから」そしてそれが「楽しい」という回路を私は持ったことが無い。
多分、私とは全く異なるルートを生きているのだろうとしか思えなかった。
皆に自慢という回路は、小中学生の頃、10代の頃にはあった。
しかし、その自慢は「○○が出来る」という、自分自身の何がしかの結果に対してであって、「知っている」という事にではない。
その意味でも、異なるルートなのだろう。
ま、どうでも良い話だ。

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