テクノロジーの進化で時代が変わる
いわゆるテクノロジーの進化は、どこまで行くのか私のような門外漢には想像できない。
ただ、パラリンピックを見ていると、義足や義手など運動の補助というか、まるで自分の手足のように使える装具が有る事に驚く。
これは、身体の不自由な人には有難い進化だろう。
という具合に、具体的な例からは想像できる。
そして、老化と共に衰えていく運動機能をも補助出来ることになるだろう。
これに関しては、補助ロボットがどんどん開発されていることで分かる。
衰えた、あるいは欠損した臓器は、再生医療で補えるだろうし、不妊で悩んでいる人達には、遺伝子操作された人工人間の子供を生み出すことも可能だ。
以前、中国で遺伝子操作だけで双子を作ったということで、世界中がショックを受けたニュースが飛び交ったくらいだから、実際のところどこかの国では、こういった研究は進んでいることだと思う。
また、みずほ銀行ではAIを使うことで、融資の貸し倒れが相当少なくなり、同時に若い人達の奨学金等の融資は増えたという。
そんな番組を昨日みた。
つまり、面談ではあてにならなかったということだ。
多分それは、窓口の人が杓子定規だったからだろう。
アメリカでは、カウンセラーの仕事をAIにさせてみたところ、カウンセラーと変わらない成果があったという。
これに関しては当たり前の事だと思う。
カウンセラーは、心理学などの勉強をし、つまり、勉強をする教材が有るということだから、そこにもっと色々な情報を組み込めば、並みのカウンセラーならAIに太刀打ち出来る筈もないだろう。
つまり、言語化されたこと、言語化可能な情報なら、どんなことでもAIがある水準までは、間違いなく処理するということだ。
次世代では「無くなる仕事がある」とよく言われているが、その次世代は遠い未来の話ではなく、数年先の事だろうと推測できる。
それは、既に変化が起こっており、まるで巨木が倒れていくように、時間と共に加速度的に変化するのだろうと想像できる。
そういう具合に社会の形態そのものが変化し、今後予測不可能な変化になる時代に、相も変わらず旧態然とした教育を信奉している人達は、子供達を路頭に迷わす事になる等とは思ってもいないのだろう。
■ワークショップのお知らせ
岡山1月11,12,13日
岡山・沖縄