進化と退化は紙一重

科学の進歩というか機械の進歩というか、そういった類の物は日進月歩で発展している。
もちろん、それは発展なのか退化なのかは、歴史が証明してくれる。

当たり前のことだが、発展は退化と表裏一体だ。
退化は人の機能のことだ。

20代の頃に、ふと時間に気付いた。
腕時計は今でも嫌いだから、どこかに行く時以外には付けない。
それは、時計に頼ると、時間の感覚が薄れてしまうからだ。
時計をしていない時、大体何時かは分かった。
でも時計を付けていると、時計を見てしまって時間が分からなくなっていることに気付いたのだ。
もちろん、そんな事はどうだって良い、と思う人にはどうだった良いことだ。

その気付きを契機に、日常生活にある便利な道具を思い起こしてみた。
しかし、それは昔からあったことだ。
例えば、大きな木を切り出し柱を作る。
ノコギリが発明されていない時代は、木を見ることが出来ないと、柱を作り出すことが出来なかった。
つまり、木の目を見てそれに沿って鍬のようなチョンナーという道具で作っていた。

その場合、その柱は長持ちしたが、ノコギリの発明と共に、柱は長持ちしなくなったという。
ノコギリであれば木の目を考える必要が無く、どこからでも切れるからだ。
もちろん、それで便利になったのは確かだし、木を使うのに無駄が少なくなった。
だから、それが悪いのではない。
その事で退化していった機能があるということだ。

何百年の昔から、そういった事の積み重ねで、間違いなく人は発達と共に退化して来ている。
それが便利の代償だ。
何が進化で何を退化させているのか。
そんなことを考えるのも面白い。

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 岡山
1月11,12,13日
 岡山・沖縄

 
 

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