汲み取る能力
最後のワークが終わり、締め括りの質問時間をとった。
一人の男性が、自分の母親との会話を話し、自分の思いが母親に伝わらないのは何故か、という質問だ。
母親は歳なので足腰が弱っている。
だから車椅子とか何か母親をサポート出来る事、手助け出来る何かを提案するが、母親は受け入れないというものだ。
彼としては、母親に対して手助けの実際を受け入れる事を求めており、それだけが親孝行だと思っている。
私は、その母親とのやり取りこそが親孝行、つまり、やり取りそのものが、親との関係の中のものだから、それで十分お母さんは喜んでいるよ、と答えた。
お母さんが、実際に息子の手助けを受け入れないのにはきっと理由がある。
それをお母さんは絶対に言わないし、そんな素振りも見せないのだろうと思う。
そのお母さんから、どれだけの事を汲み取れるかが、息子の人間的成長でもある。
現代の風潮の「言わなければ分からない」とは次元が異なる「察する・汲み取る」という文化が日本にはある。
いやあった。
もちろん、これは相当高級な能力だ。
原動力としての「好奇心・想像力」が育っていなければ発揮できない能力だ。
これだけ世間が西洋風になってしまった日本では、消えていく、途絶えていく人間文化なのかもしれない。
寂しさを感じる私は、それこそ歳を取ったという事だろう。
ワークショップ次は1月11,12,13日岡山です。
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東京11月28,29,30日12月1日
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