競わないからこその
ノコギリの刃が切るべき材木にどれほど食い込んでいるか?ずっとその手応えを保つ。
そうすると、腕の疲れもなく切れ味も良い。
作業というのは、どんなことでも「身体感覚」を研ぎ澄ませる稽古になる。
今やっている道場修理も、そんな稽古材料だ。
先日の西表島でのジャングル探索も、足元の岩や木に足が乗る面に集中する。足の指が力んでいないか注意をする。
そんな事でも遊んでいた。
また、カヌーでの川登りも、胸骨操作の実際を稽古出来た。
思い切り漕ぐからマングローブに突っ込んでしまった。
それも「力が出た」ということの証明だ。
そんな風だから人の何倍も稽古していることになる。
ドラムもある種その延長になる。
ストイックではなく、そんな稽古が楽しいのだ。
だからいくらでも続けることができる。
これも競うものが無いからだ。
もしも競うということになれば、目的が生まれてしまうから、身体感覚云々では無くなる。
その意味で競うことをしないのだ。
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄