自分の死はおままごとなのか?

一昨日は仙台に飛んでいた。
あるビジネスのセミナーだ。

コミュニケーション、関係性ということで、私の「武道」に着目してくれたからだ。
その意味では、武道は関係性を実際的に学ぶ宝庫だ。

もちろん、武道ならどれでも良いというのではない。
私は武道を探求する過程で、関係性ということに気付き、そこに特化した稽古を重ねて来た。
だから、完全に人間関係とくっつくのだ。

大方の「人間関係」という場合、予定調和か相互のマスタベーションだ。
もちろん、それの方が楽しいし楽だ。
相手の事を本当に感じる必要などなく、方法に取り組めば良いだけだからだ。
いわゆる、おままごとであり、文化遊びの類だ。

以前に紹介したが、フランスで私の武道のドキュメンタリーDVが発売されている。
それを企画してくれた空手のチャンピオンがいる。
その彼が今夏の沖縄ワークショップに、顔を出してくれた。
沖縄空手の取材だったから、時間の合間を縫って来てくれたのだ。

彼が私のワークを受け、相当のショックを受けていた。
それは「声を届ける」というものだ。
関係性の柱の一つだ。
そこを徹底的に追及しているセミナーやワークを全く知らなかった。
当然体験もしたことがないからだ。

武道では「気合術」というものがある。
それは、こちらの声が届けば、相手の身体は変化するというものだ。
この場合、方法はない。
本当に自分自身が相手に声を発していなければ、相手に変化は起こらないからだ。
そのワークでフランス人は、自分自身を突き付けられたという。
それがショックだったのだ。
自分自身を根底から成長させるワークだと、そのフランス人は語っていた。
感性が柔らかいのだ。

おもしろい事に、そこに気付いた武道関係者は、このフランス人が最初だ。
武道を指導して36,7年になるが、武道絡みの人では、このフランス人が最初というのは、何とも寂しい限りだ。
だが、一般の人へのworkshopや、今回のセミナー等では、多くの人が気付いてくれた。

おままごとが悪いというのではない。
それで人生をお茶を濁すのも良いだろう。
しかし、生命は現実だ。
「死」は現実だ。
誰とも本当の意味で関係せずに死を迎えるとしたら、その死もおままごとだろうか。

沖縄コンサートは11月2日です。

■ワークショップのお知らせ
 東京11月28,29,30日12月1日
 東京・岡山・沖縄

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